今日はムシムシしてましたね!
今日はロイヤルホストでモーニングとコーンスープを楽しみました。
2026年8月1日(土)曜日
本人の話を聞くこと。
当事者の言葉を聞かずに何をしてあげたいのかを考える。これも本人が諦めてしまう原因になってしまうと思います。
今不安でどうしたらいいかわからない当事者は家族に言われた通りに行動するしかできなくなってしまうからです。
諦めた当事者は、何をするにも無気力になり、BPSD(周辺症状)と呼ばれてしまう症状も出やすいです。
自分で決めて行動した当事者は、穏やかに過ごしている人が多いと感じます。
自分が心配される立場になって考えた場合、皆さんは自分のことを周りに決めてもらいたいですか?迷ったときの後押しは必要ですが、自分で決めたいと思いませんか。家族のことになると、それがなぜか忘れられてしまうこともあります。支援と支配は紙一重なのです。
先回りは家族が悩み苦しむ結果にもつながる。
当事者を医療保護入院と言う形で、半ば強制的に精神科病院に入院させたご家族を何組も知っています。
医療保護入院は、精神障害で入院が必要と医師が判断したとき、患者、本人の代わりに家族等が同意することで、入院治療を行える仕組みです
その結果、ご本人がおむつになったり、亡くなったりして、どのご家族も後悔し、悩み苦しんでいました。なぜそうなってしまったのでしょうか。
私は、家族は悪いのではなく、そうせざる得ない状況にしてしまう社会や環境が悪いと感じています。
とりあえず精神科病院に入れましょうと言ってしまう。支援者もおかしいと思いますし、精神科病院に入るときにいつまで入院するのかなぜ入院しないといけないのか、どのような治療するのかなどの説明がなければ誰だって怖いし不安になると思います。
ですが、当事者に入院したくないと言われたら、家族も困るからと言うことで、本人に黙って入院させるケースもあります
家族が悩み、苦しむ原因はそこだと思います。
なぜ支援者が当事者に寄り添い、説得ではなく、本人が納得して病院に入院できるようになったのか。もしかしたら興奮状態でそんな余裕がなかったのかもしれません。それでもきちんと説明しなければならないと思います。その義務を果たさずに医療保護入院になってしまうと、当事者も家族も苦しむのです。家族はこんなはずじゃなかったと入院後にすぐ出したいと思っても、医療法護入院ではすぐに出る事は難しいのです。
入所や入院が良い悪いではなく、その前になぜ興奮したり暴れたりすることになったのかに目を向ける必要があると思います。もちろん認知症による脳の機能の変化で怒りやすかったり興奮しやすいといった症状があるかもしれません。ですが、それ以前に先ほどからお伝えしている家族が、診断直後、認知症の理解がないために良かれと思ってしてしまう先周りの蓄積は大きな問題だと思います。
認知症の当事者のことが大切でしてしまう。先回り行動により、当事者は全ては諦め、家族がいないと何もできない家族に確認しないと話せない依存状態になります。常に家族について回るようになり、家族も自分の時間がなくなり、常に当事者を気にしなければならない生活に疲れてしまいます。
認知症と診断された後に起きるこの負の連鎖が最後には施設入所や精神科病院への入院といった、家族も悩み苦しむ原因となっていくのです。
この負の連鎖を生み出さないためには、まずは先回りをやめて欲しいのです
病気から来ている症状で誰も悪くないと伝えることが大切だと思います。
例えば、家族からは最近トイレを失敗して困ると言った訴えがあったとして、安易にその困り事に焦点を当ててしまうとオムツをしましょうかとかポータブルトイレを置きましょうかと言う対応になりかねません。しかしそこでしっかり話を聞いていけば、いつもではなく、夜だけ失敗するだとか、それは最近飲み始めた薬の影響かもしれないので、薬の調整で改善できるかもしれないと言う話になるかもしれません。
そうやって、医療職や介護職がしっかり話を聞いてくれれば、当事者も家族も今までの生活を維持できる可能性が高いし、そうした事例は山ほどあります。
家族や専門職の人に伝えたいこと。
①のまとめ
すべての負の連鎖の原因となる先回りをやめてください。当事者は何もできない人ではありません。本人の工夫や挑戦を見守る。勇気を持ちましょう
そのためには、社会の目を過度に気にしないことも重要かもしれません。
そして、本人の話す力を信じて会話をしてください。
自立を奪っているのは病気なのか
講演後の質疑応答でその当事者の1人が料理も旅行も好きだけど、家族は何もさせてくれない。財布も取り上げられたとたくさんの人の前で切実に訴えました。手ぶらで出かけたい、家でただぼんやりと座っていたいと誰も思っていなかったのです。
ですが、それを嫌だと言う機会もなく、嫌と言う言葉を受け入れてくれる人もいなかった
料理をしたり、旅行に自由に行く権利を奪われてしまったのは、本当に病気のせいなのでしょうか。
私は認知症の症状のせいだけではないと思っています。
包丁持たせないようにしたのは、財布を持たせないようにしたのは、誰なのでしょうか。そうした周りの人たちの心配と優しさの方向が間違ってるせいではないかと感じています。
ここで考えて欲しいのは、主体は誰なのかです。手を出して先回りをしたら、当事者はやってもらうことが楽になり、家族に依存してしまいます。その依存が良い結果を負わない事はこれまでも説明してきた通りです。
先日、診断されないまもない若年の認知症の当事者と会う機会がありました。認知症と診断された夫とその妻も一緒で、妻は主人の喜ぶこと好きなことをしたいととても優しいご主人思いの方でした。
妻から旅行が楽しかったと言う話題が出たのですが、よくよく話を聞くと、旅行の工程で切符を買ったのもホテルを予約したのも、買い物などの支払いも全て妻がやったことがわかりました。
このような家族の優しさが当事者の自立を奪い、自分で考えることを難しくさせていないでしょうか。
本人も旅行中は楽しんでいたと思いますが、私と話したときには旅行の事はあまり覚えていなかったようです。
自分で旅行の工程に関わっていないからかもしれません。
一方、当事者の視点で考えると、今まで自分がやってきたことを奪われた。まだ自分でできるのにできない人と思われていて辛い。
お金を自由に使わせて欲しいなど、不満はたくさんあるはずです。
しかし、病気になって申し訳ないと言う思いから気持ちを押し殺し我慢して諦めています。何を言っても心配と言う言葉で否定されるし、言っても無駄だから言わないほうが夫婦円満だろうなとなるわけです。
例えば、パートワンで、当事者の人は症状による困り事をカバーする工夫をするときは、自分で道具を用意したほうが良いとお伝えしました。
家族や支援者が買ってきてしまうと、本当に当事者の欲しかったものでなかったり、記憶に残らなかったりして、使い続けることができないからです。
そして、使い続けられないと、せっかく買ってきてあげたのにと家族に怒られたりします。
買ってきてあげるのは、当事者が買い物に行ったり、選んだりするのが大変だろうと優しさからの行動ですが、その優しさの方向が間違っていることに気づいていないので、家族は怒ってしまうのです。結果、当事者は嫌な気持ちにしかならないし、家族もせっかく買ってきたのに、なぜ使わないのと、お互いにイライラして関係性が崩れてしまうのです。
当事者が工夫をすると、決めた時は一緒に買い物に行って、自分で選んだり決めたりするのを見守って欲しいのです。それに本人が自分のものとわかりやすいように、派手な色にしようと考えているのに、そんな年甲斐もなく、なんて言われたら工夫をしようと言う気力が奪われてしまうので、自分で決めることを応援しましょ。
最後まで自分で決める自分で選ぶことを応援してほしいのです
自分のことを自分で決めることができない人生はとても苦しいものです。
ですが、やりたいことをやるためには必ずリスクがあります。やりたいことを伝えても心配だよ。危ないでしょう。何かあったら誰が責任を取るのと言う人がいます。そのせいで当事者だけではなく、家族や支援者も周りの目を気にして行動することができないのです。
今の社会が、当事者の夢ややりたいことを奪っています
施設に閉じ込めようとするのは逆効果だと思います。逆にどんどん当事者が外に出て行き、その実際の姿を地域の人に見てもらうことが大事です。
当事者が自信を失わず、笑顔で近所の人に挨拶できれば、それだけで認知症への印象が変わるからです。
デイサービスなどの介護施設でも、施設の外に出て、掃除や花壇の手入れなどの社会活動をやる姿を見せる中で、地域の偏見がなくなっていた令和既にたくさんあります。
行方不明になった認知の人で、亡くなった方の状況を聞くと、壁と壁の間で亡くなっていたり、物置小屋の隅にいたりなど、暗く狭いところにいることが多いようです。
誰でも、自分の居場所(家や施設など)でできることまで奪われ続けると、嫌な気持ちになると思います。認知症の人がいなくなり、亡くなってしまうことの原因は、家庭や今の居場所が孤独や孤立を感じる環境だからではないかと思うことがあります。
この場所にいていいのか、いなくなりたいと考えてしまうからではないでしょうか。だから見つからないように出ていくし、暗いところ狭いところを選んで歩いて行ってしまうのではないでしょうか。
私は徘徊をしたと言われる当事者と、じっくり話し合ったことが何度もあります。
支援者や家族は帰ってきてよかったと言うだけで、なぜ出て行ったのかを当事者に聞かないことが多いように思います。
実際に当事者にその時の話を聞くと、中には家にいるのが辛い家族からの言葉がプレッシャーで、ストレスもう死にたいと思って家を出たと言う人もいました。
認知症の人を追い詰めるもの
例えば、あなたが認知症になったとして、料理が好きでやり続けたいのに、危ないからやらなくていいよ。座っていてと言われたらどうでしょうか?
仮に、料理をできなくなったとしても、全てができないわけでは無いのです。切るのができないのか、鍋を使って煮るのができないのか、味付けができないのか。料理好きのあなたがこの中の1部ができなくなっただけで、家族からいいから、座っててと言われたら、孤独や孤立無力感を覚えてしまいませんか?
仲間の医師に教えてもらった資料(認知症、高齢者の徘徊、行方不明、死亡に関する研究を見たところ、一人暮らしの当事者は、道に迷う事はあってもなくなったと言う例は少ないようでした。
周りの支援者も聞いたことがないと言います。一人暮らしの人は1人でいることを受け入れて過ごしているので、自分の家を居場所だといえるのでしょう。
家族がいる中での孤独や孤立は当事者にとってとても苦しいのです。
情報に振り回されない。
認知症は進行していく病気ですが、本やインターネットで調べて出てくる認知症の様々な情報、例えば徘徊するや暴れるなどの症状や重度の認知の人の介護のことをいきなり目の前の当事者とつなげて考えるのは危険です。
当事者の家族には、そうした情報を鵜呑みにせず、今目の前にいるその人を見て欲しいと伝えています。
病名で人を見てしまい、すぐにそばにいる本人を見ていないから不安になってしまうのです。
家族や当事者が、将来のことを相談し、不安を感じたり、恐れたりする気持ちはわかりますが、その想像は今の現実ではありません。
まだ徘徊したこともないのに徘徊したらどうしよう。全てがわからなくなって私のことを忘れたらどうしようと。まだ実際に起きていないことを想像して不安になって先回りし、本人のできることを奪ったりすることはその恐れている。未来に近づいていく。負の連鎖の1番の原因です。
困ったときに助けてと言える環境
今は、認知症と診断されると、周囲は心配が先に来て、当事者を監視したり管理しようとしてしまいます。ですが、本当は助けてと言える環境や関係づくりが大切で、常に周囲に気を使われたり、見守られることを望んでいるわけではありません。
認知症の症状で困ったときにだけ助けてと言える人がいたら良いのです。
例えば、あなたがメガネはどこかに置き忘れたときメガネどこに置いたかなぁと家族に聞くと思いますが、その時は怒らずにあそこで見かけたよ。とアドバイスしてもらえれば何も問題ないですよね。認知症があっても同じです。相手が手伝って助けて欲しいと具体的にお願いしたときに怒らず対応してくれればいいと思います。人混みではぐれそうな時相手がはぐれないようにカバンの端を握ってもいいと聞いてきたらいいよと受け入れて欲しい。でも、最初からはぐれないように手をつな
いで、私は先導します。なんて言って欲しいわけでは無いのです。
また、当事者としては、相手が自分を信用してくれると感じる人の方が助けてと言いやすいです。逆に、あれは違うこれもダメとして言う人には助けてと言いづらいものです。
だからこそ、家族には普段から怒ったり、指導指摘したり、などの否定的なコミニケーションではなく、本人のできることに耳を向けたサポートをしてほしいのです。
専門職の人であっても、普段から普通の会話をしてコミュニケーションが取れている人でなければ相談はできませんし、そしてこうしたほうがいいと言う提案やアドバイスばかりではなく、自分の話を聞いてくれる人の方が相談しやすいのです。
家族や専門職の人に伝えたいこと。②のまとめ
当事者が大変だろうからと目先のことを手助けするのではなく、本人が自分のことを決められたり、やりたいことをやり続けられるように手助けをしてください。それが当事者の自立を奪わないサポートです。
そして、困ったときに助けてと言ってもらえる関係を築きましょう。
社会自体も、当事者の自己責任を認められるように変わっていく必要があります。
意思決定の場にいない当事者
癌でも骨折でも他の病気では自分で決めて自分1人で動くことを誰も止めたりしません。ですが、認知証の人が行動しようとすると、家族や支援者がセットになってついてきます。
また、他の病気ではありえないことですが、認知症の場合は周りが決めてあげると言う風潮があって、そこに当事者の自己決定がありません。
例えば、介護保険サービスのデイサービスやショートステイの利用1つとってもケアマネジャーと家族の間でこの日(曜日)にここを利用すると言うことが決められてしまいます。本人が行きたくないと言うと拒否している。無理矢理連れていかれて帰りたいと言うと、帰宅願望がある。そのことで気持ちが落ち込んだり、イライラするとBPSD(周辺症状が出たと言われます。自分で決めていない自分で選んでいないのなら、全て当たり前の気持ちだと思いませんか。
介護保険のサービス担当者会議でも支援者と家族で話し合って、当事者の意見を聞かなかったり、ひどい場合は会議に参加すらしていない場合もあると聞いています。
決めるその場に当事者はおらず、当事者の意思が反映されていないのです。
意思決定の場に当事者がいないのはなぜでしょう?
それなのに、認知症と診断されると、ケアマネージャーと家族で勝手に決めてしまうことが多いのです。
なぜ認知症だと周りが決めるのでしょうか?
中心に当事者がいない気がします。ケアマネジャーや介護職の人たちも名刺を家族に渡して挨拶をする人が多いようです。
本当なら名刺もまず当事者に渡してもらいたいと思います。
心配してもいいけれど、信じて欲しい。
家族や支援者が当事者を信頼し、失敗する権利を認めることで、当事者は自信を持ち前向きな気持ちで生活していくことができます。
例えば、在宅や施設かを自分で決めることができるような環境づくりが重要で、支援者は家族の介護負担を減らすことよりもこの点に注目するべきだと思います。また、地域の社会資源を活用し、当事者が自分の生活を続けるために行う工夫をサポートすることが大切です。
例えば、パートツーで紹介したような認知症の困り事をカバーできるITの使い方教えてくれたり、困ったときに一緒に工夫を考えてくれる人の存在が必要なのです。
家族へのサポートでも、困ったときの対応の仕方や本人が自信を持てるような声かけの仕方などを教えてもらう存在が必要です。
もうひと工夫があれば1人でできる。
認知症の当事者や家族が訪れて認知症の事や介護のことを話すことができる認知カフェやつどいといった集まりが全国各地で行われています。
このカフェや集いのチラシに、駅やバス停からの地図と会場の建物の写真があれば、多くの当事者は1人で行ってみようと挑戦することができるでしょう。
しかし、実際のチラシの多くは、〇〇センター0月0日0時〜と大きく書いてあるだけで、地図や写真などは載っていません。
地図があっても、車で行くための地図になっていることが多く
当事者の人が誰かの車に乗せられてくる、連れてきてもらうことが前提となっているように感じます。
どうしたら1人で行けるようになるかを、当事者と一緒に考えて欲しいのです。
それは認知症の症状?
もし認知症の症状と関係なく、人として良くないことをしたのであれば、それは家族や支援者も注意する勇気が必要だと思うのです。
中には認知症だから、悪いことをしても許されると思っている。当事者もいたり認知症だから、周りが配慮するべきだと思っている当事者もいます。
認知症を理由に、好き勝手に過ごすのは違うはずです。
認知があろうとなかろうと、良くない事は注意をする。
それも当事者の力を信じることの1つだと思います。
もちろん、認知の症状から、お店のものや人のものを持ってきてしまうことなどもあります。
それは当事者が悪いわけではなく、症状によるものです。
周りの人が理解し、そうした区別をしながら対応していくことが必要です。終わり
認知症の人を皆で、助けてあげて下さい。😀 田中 深雪
