今日の昼食は、コロッケ丼を作って、お味噌汁には玉ねぎのスープを添えました。
今日の晩ごはんは、海老とトマト、それに牛肉の焼きうどんを作りました。
2026年8月17日(月)老後の資金がありませんp36〜p71抜粋
誰にも邪魔されない居場所が確保できる。
そんなのは独身時代以来だから楽しみで仕方がない。
仰向けになったまま目をつぶり、さやかの六畳の洋室を頭に思い浮かべた。
壁紙を思い切ってカラフルな幾何学模様にしたらどうだろう。大胆な花柄でもいいかも。
あの子が卒業アルバムなどの思い出の品を実家に置いていくとしても、段ボールひと箱くらいにまとめてもらいたい。
ベッドはあの子のをそのまま使うことにしよう。
自分のベッドの方が上等だが、さやかのは下に引き出しがついているから便利だ。
自分のはいっそ処分してもいい。
そうすれば、夫はこの寝室をひとりで広く使えるし、家具の配置を変えて書斎らしくすることもできる。
目を開けてベッドサイドに手を伸ばし、神田サッキから借りたハウツー本結婚式のマナーと常識を手に取った。サッキはフラワーアレンジメント教室の仲間だ。
仰向けに寝転んだまま本を開くと、小さな紙がぱらりと落ちてきた。
スパーのレシートだった。きっとサツキが栞の代わりに使っていたのだろう。
最近のレシートは、商品名が詳しく書かれている上に、印字が鮮明だ、
鰺、大根、キビナゴ、舞茸、生姜・・・・。
昭和の香りがするサツキのイメージにあまりにぴったりで、思わず笑いが漏れた。
えつ、台湾バナナ?
五百八十円もするのね?
レシートを穴が開くほど見つめた。
うちはいつも二百円前後のフィリンピンバナナだ。
台湾産なんて何年も食べていない。
それなのに、あの節約家のサツキがどうして台湾バナナを買ったりしたんだろう。
彼女は、普段から無駄な物は一切買わないし、服装はといえば、いつもセーターとジーンズだ。
季節によってセーターかポロシャツやTシャツに変わることはあっても、一年を通じてほとんど変わり映えしない。
それも、初めて会った三十年近く前からずっとそうなのだから筋金入りだ。
美容院へも行かず、髪が伸びたら自分で適当に切る。
少々不揃いでも、ポニーテールだからバレないとあっけらかんと言う。
サツキの子供達が幼かった頃も、サツキが切ってやっていた。質素倹約とは彼女のためにある言葉だ。
たぶん、台湾バナナは、知り合いの誰かが病気で、そのお見舞いに持って行ったのだろう。
見栄いを張らないサッキならやりそうなことだ。
果物屋でまともな果物カゴを買うと、びっくりするほど高くつくもの。
そんなことを考えながら、いつの間にか寝入ってしまった。
その日は朝から蒸し暑かった。
公民館の一室は、鮮やかな青紫で溢れていた。
紫陽花は50以上の品種があるんですよ。
鈴を転がすような講師の声で、みんな一斉に顔を上げた。
フラワーアレンジメント教室の講師は70代だ。
年齢相応の皺はあるが、この年代にしては珍しく彫りの深い美人で、ボリュームのある白髪のショートカットがよく似合っている。
立ち居振る舞いも優雅で、一目見て、上流階級の出だと思わせる。
みなさん、驚く勿れ。
これは城が崎という品種なんですよ。
教室のあちこちからざわめきが起こる。というのも、講師の名前が城ケ崎綾乃だがらだ。
この紫陽花、先生みたいに綺麗ですよう
誰かが言うと、あちこちで笑いが起こった。
あら、今の笑うところでしょうか。正しい意見だと思いますわよ。
城ヶ先は、澄ました顔でそう言ってのけたあと、自分でもプッと噴き出した。
篤子もサッキと目を合わせて笑った。
席は自由だが、いつの間にか、毎回同じ席に座るようになっている。
一つの長机を二人で使うのだが、篤子は今日も最期列の出入り口に近い席で、神田サツキは窓際だ。
サッキと初めて出会ったのは、区役所主催の赤ちゃん教室だった。
その時、篤子は25歳で、サツキは23歳だった。
初めての子育てで、誰か助けてと呼び出したくなるような不安な日々を過ごしていたから、すがるような思い出参加したなのだ。
それなのに、講演に来た男性医師は母親たちを見下したような物言いに終始し、内容も育児雑誌で読んだことのある常識的なものばかりだった。
隣の席に座っていたサツキの暗い目から、自分と同じ屈辱感を読み取った時、傷心が怒りに変わってた。このままでは気持ちが収まらないとばかりに、サツキを誘って赤ん坊連れで、喫茶店へ入り、初対面にも関わらず、共通の敵のおかげで一気に打ち解けた。
サッキが生け花教室に通っているのを知ったのはその時だ。
教室は月に一度で、その日が唯一、夫に赤ん坊を預けて自由になれる日だという。
公民館の主催だから、花代の実費のほかに千円で住むことが、篤子の背中を押した。
早いもので、互いの第一子は28歳になった。
子供たちの学校が異なっていたので、成績を比べることがなかったのも、長く付き合いを続けてこられた理由の1つかもしれない。
一定の距離を保ったものの付き合いだから、気軽な関係でいられた。
その間、生花教室はいつの間にかフラワーアレンジメント教室名を変え、講師は何度か変わった。
知り合った当初から、サツキ夫妻は、パン屋を営んでいた。
教室からもち帰った花を店先に飾っているから、客と花の話が弾むこともあると言う
花も少しは商売に役立っているらしい。
自分はと言えば、玄関やリビングに飾るだけだから、実益は無いが、花を愛でる習慣は、子供たちの成長にも良い影響を与えてきたのではないかと思っている。
2年ほど前に講師が城ヶ崎に変わってから花の種類も変わった。
子供時代からなじみのある花 鳳仙花にポンポンダリアに、金盞花、浦島草にグラジオラスなどが多く採用されるようになった。聞いたこともない横文字の花とは違い、昭和時代を思い出して懐かしくなる。
サツキの店でも、年配の女性客に受けが良いらしい。
フラワーアレンジメント教室の帰りに、さつきと2人でカフェか甘味喫茶に寄るのが長年の収穫となっている。
私は抹茶クリーム白玉あんみつにするカロリーオーバーだが、月に1回位は良いことにしよう。
若い頃は、これくらいで太りはしなかったのに、今は食べた分だけきっちり贅肉になる。
以前は、太った中年を軽蔑していたが、自分が歳をとってみて、初めて、若い頃の何倍も自分に厳しくなければ体型を保てないことを知った。
40代の頃は、あれこれダイエットを試してみては挫折を繰り返したが、今では諦めの境地に達している。
私はいつもと同じで、ところてんにします。
うらやましいことにさつきは甘いものが苦手だ。だからか、いまだに少年のような体系を保っている。
初めて会った時から、今日までずっと、さつきは、敦子に対して敬語を使っている。
敦子より2歳年下だからかもしかして敦子が大卒でさつきが高卒だからなのか
それとも、さやかの誕生日がさつきの長男より5ヶ月早いからか。0歳児は月齢で、成長の差が大きいから、知り合った頃は、母親として先輩と後輩といった雰囲気がある。歴然とあったものだ。
敦子さん、そのジャケット素敵ですね。どこで買ったんですか?
通販よ。
いくらだったんですか?
こういうことを、サツキは平気で尋ねる
最初は、面食らったが、さつきには篤子の生活レベルを、詮索する気など毛頭ないことが、そのうちわかってきた。
生活の知恵として、通販や近所の店の価格帯など、様々な情報を得たいと言う、家計を預かる主婦としての真面目な気持ちからだった。
半額セールで8000円。綿100%だから肌触りが良くて気に入ってるの。さつ
きちゃんのポロシャツもいいじゃない。そのブルー、すごく似合ってるよ。ユニクロ?
篤子も、さつきにだけは遠慮なく尋ねるようになった。
ユニクロはやめました。高いんですもん。
高い。ユニクロが。
最近はしまむらかライフですよ。それもセールの時。
さつきはさらって言って抜ける。
ライフってスーパーのライフ?
そうです。1階は食品売り場ですけど、2階は衣料品を売ってるんですよ。
それは前から知ってるけど…えー、あそこでさつきちゃんと話すと勉強になるよ。
皮肉でもなければ馬鹿にしてるんでもない。次に買い物に行った時は、2階も
見てみようと決める。
城ヶ崎先生の髪型、今日も決まってましたね。あれはカツラなんでしょうか
多分ね。50代の私で、最近頭のてっぺんがぺしゃんこになってきたのに、70代であの髪の多さはおかしいよ。
時々髪型が変わるって事は、桂をいくつも持っているってことですよね。
オーダーだと、1つ2 ,300,000円もするって聞いたことあります
この世の中、本当に格差あるよね。私はあんなゴザ70代にはなれない先立つものがないもの。
城ヶ崎があの年齢でまだ働いてるのは、決して生活のためなんかじゃない。働くのが好きなのだ。
華やかで綱しんな雰囲気を見ていれば、誰だってわかるな。ああ、いう生き方うらやましいです。
お金持ちの奥様は皆所帯じみてないんですもんね。
やっぱり女は顔なのかな。
行った途端に、自分でもおかしくなって、篤子は笑った。いい年をしてまるで女子中学生みたいなことを言ってしまった。
だからさつきはにこりともせず、真面目な顔で言った。うちの祖母が女の子は運命なりってよく言ってました。
城ヶ崎先生位の美人になると、大金持ちの男性に見初められたんでしょうね
そうね。そして一生涯、豊かな生活が保障される。
注文した品運ばれてきた。
そういえば、お宅のさやかちゃん、お式はどこであげるんですか?
麻布寿園でやりたいって新郎側は言ってるんだけどね・・・。
式場は特に予約済みだとさやかは言った。
向こうが最初から遊ぶこと以外はダメだと言っていたのだから、反対する余地などなかった。
お前の好きなようにやればいいよ。
一生1度だからな。金の事は心配するな。
夫はさやかに、そう言い切った。
篤子は、娘の嬉しそうな顔を見て、喉元まででかかった言葉 老後の資金が減る を引っ込めてしまった。
若い2人の人生のスタート地点が、そんなことでいいんだろうか。仮に本人たちが自分の貯金から出すのなら、もっと吟味して大切に使うのではないか。結婚の話が出た当初は、さやかのことだからきっとお金
をかけない手作りの結婚式にするだろうと思っていた。そしてお祝いや奮発して、思い切った額といっても1,000,000円位。を出してやろうと決めていた。
最初から親の懐を期待するとは考えもしなかった。
もちろん、親として出来る限りの事はしてやりたいと思っている。
だけど・・・何かが違う。
同じ大金を使うなら、性能の良い家電を買い揃えるとか、いつか家を買うときの頭金の1にする方が有効な使い方だと思う。
100歩譲って、結婚は一緒にとのことだから思う。切って贅沢をしたいと言うのなら、新婚旅行は世界一周にして見聞を広めたらどうだろう。
そういうのが生きたお金の使い方ではないだろうか。それとも自分の考え方は古いのか。
篤子は、たかが数時間の披露宴に6,000,000円も使うことにどうしても抵抗を覚えてしまうのだった。
だから、夫にも訴えてみたのだが・・・・。
そんなの価値観の違いだよ。自分の考えを押し付けるなよ。
即座に1蹴されてしまった。
いつだったかテレビで見たんです。
勇者ある建築物で指定型文化財ですって。
さやかちゃんのお相手の方、確か手広くスーパーを経営してらして、お金持ちなんですよね?
お金持ちなのは親御さんだけだよ。新郎本人は商社に勤めている。普通のサラリーマンなの。
それにしても・・・・新郎側の親が大金持ちで、商売上の都合で盛大に披露宴をやらなければならないと言うのなら、全額そっちで負担してくれてもいいんじゃないか。
篤子、そんなこと言ったら足元見られるぞ。
さやかが巣立ちの悪い娘だと思われるんだよ。
夫と言い争った夜を思い出す。
さやかちゃんたちは、いつか実家のスーパーを継ぐんでしょう?
今のところはそういった話は聞いていないけどね。
琢磨には優秀な姉がいると聞いている。
アメリカの大学を出て、ネット販売の会社を企業したと言うから、将来は婿養子をもらつて、実家をではないかと、敦子は夫と2人で勝手に想像を巡らせていた。
もし実家を継ぐのであれば、招待客をたくさん呼ぶのは、さやかちゃん夫婦の将来にも役立つことですよね。
そうか、そうとも言えるわね。
で、篤子さんの旦那さんは、花嫁の父の心境はどうなんです。
かわいい娘を取られたくなくて、お婿さんのことを気に入らないとかおっしゃってません?
そうでもないのよね。気に入ってるみたいよ。
松田琢磨の人柄そのものを気に入ってるわけじゃない。
多分、その親の資産だとか、松平と言う苗字だ。琢磨をついているし、そつがなくて礼儀正しい。
だが、その反面、冗談の1つも言わない。もっとざっくばらんで明るい性格の男性だったら、どんなに良かっただろうと篤子は思う
そのうち打ち解けた態度も見せるだろうさ。
夫はそういうが、琢磨は何であってもかたくな態度を崩さない。いまだに笑顔を見たことすらない。
実はね、うちの知行も結婚が決まったんですよと、さつきは嬉しそうに言った。
さつきには3人の子供がいる。智之はさやかと同い年で消防士だ。
3歳下の葉月は歯科衛生士で、その2歳したの睦月は看護師だ。
おめでとう。男の子にしては早いね。もしかして、できちゃった婚とか?
残念ながら違います。知行の友達は早く結婚する子が多いんですよ。
そうか、そうよね。私たちの世代で言えば全然早くないもんね。で、智之のお相手はどんな人なの?
高校時代の同級生です。同じクラスにはなったことがなくて、顔と名前位しか知らなかったらしいですけど、去年の同窓会で意気投合したみたい。
知行くんはモテるでしょうね。さつきちゃんに似て可愛い顔してるもん。
奄美大島の出身だから、皐月や丸顔で目がパチリした南国本の顔立ちだ。
そんなことないですよ。子供の頃は可愛かったけど、大人の男性としてはどうだろう。
智之君は結婚式はどこであげるの?
親にはちっとも相談してくれません。
主人が本人たちの好きなようにさせてやれよ、姑根性出して、口出しするなよって。
そう言ってさつきは笑う。嫌ですね。姑根性ですって。
もう私もそんな歳になったんですね。
私たち夫婦は、招待客と同じように、当日式場に行くだけなんですよ。寂しい気もするけど、店が忙しいから助かります。
それは智之くんがしっかりしている証拠よ。それで費用はどれくらい援助するの?
普通なら聞きにくいことでもさつき相手なら平気だ。
300,000円位かな。
ほんと?そんなに・・・・
そんなに少なくていいの?
言葉を飲み込んだが、さつきは敏感に察したようだった。
私としては、かなり奮発してるつもりなんですけど
さつきはそう言うと、ところてんをつるりと食べた。
篤子さんは、もっと出すの?
うん、まぁね。
どれくらい?
結婚式と披露宴だけでも6,000,000円はかかりそうなのよ。その中で新婦にかかった分を出さなきゃならないから。
そう言うと、さつきは大きな黒目がちの目をいっそう見開いた。
6,000,000円?それ本気で言ってます。
やっぱり多いよね。
だって他にもたくさんかかるでしょう?
新婚旅行や新居や家電や家具なんかはどうするんです?
それは…
やっぱりその分も親が出さなければならないのだろうか。
いくらなんでも、そこまで親が出すって事は無いですよね。
湧いてもしっかりしていらっしゃるし、ご実家はすごいお金持ちだし。それにさやかちゃんも結構貯めてるんじゃないですか。
自宅通いだもの。
慰めるように、さつきは早口になる。
さやかの貯金なんて、高か知れてるよ。
先月だったか、さやかに直接尋ねてみたら、預金通帳を見せてくれた。
洋服やバックなども何年も前に買ったものを使い続けているし、若い子にしては、おしゃれにもさほど関心がない方だ。
だが、大学を卒業後は派遣登録したものの、仕事の依頼がない時期も長かったし、今のアルバイトの時給も低いから、大学を出て6年経ってもやっと1,800,000円が貯まったところだった。
知行くんはどう?貯金してる?
もちろんです。子供の頃から親が貧乏だから、決して頼らないぞと悟っていたんだと思います。
それに、知行は専門学校卒ですから、社会人になって既に8年目になるんです。
その間ずっと自宅通いだし、おしゃれも興味ないし、車だって中古の小型車で満足してますからね。結構貯めてると思います。
どれくらい?
少なくとも15,000,000円は貯めていると思いますよ。
すごい・・・
そうでしょうか働いて丸7年として計算すると15,000,000円を7で割ると年に
約2,000,000円家につき50,000円行ってくれているけど、家賃もいらないし、ご飯も家で食べる知ってるし・・・あれ?
もっと貯めてるかも。
だったら、結婚式は盛大にすればいいのに。
願望を込めて言ってみた。
夫が言うように、ハレの日にはそれまで貯めてきたものをどんと使ってしまうのが普通なんだと思いたかった。
相手のお嬢さんが地味婚にしたいって言うんですって。
だから多分披露宴はレストランを借り切って簡単に済ませるんじゃないかと思います。
でも、お相手の親御さんはそれでいいわけ?
いつの間にか、責め口調になっていることに気づき、篤子は慌てて微笑みを頬に乗せた。
それは自分の娘が地味婚を望んでいるんですから、文句は言えないでしょう。
それに、結婚式は新婦の好きなようにやるのが1番いいと思うんです。
なぜ主役なんですか。
さつきちゃん、きっと良いお姑さんになるよ。
そうですか?
さつきは素直にうれしそうに微笑んだ。
みんながみんなハレの日に散財するなら仕方がないと思える。だが、知行くんのように、預金はたんまりあるのに地味婚を選ぶ若いカップルもいる。
さつきは、親としてたったの300,000円しか援助しないらしい。
あんみつを見つめながら考えた。
自分の時給は1050円だ。節約に節約を重ねたこれまでの日々、老後の心配… .
数百万円が一緒にして泡と消えると思ったら、またもや辛くなってきた。
でももう遅い。
さやかの結婚式は麻布寿園と決まっている。
でも…もしかして、式場押さえただけで、内容の変更は、まだ間に合うのでは?だとしたら、急がなきゃ。
腹の底からじわりと焦りが湧いてきた。
九十九里浜へ向かう電車内は、海水浴客でいっぱいだった。
夏休みに入ったからか、子供連れが多い。
電車の窓に差し込む太陽の光が眩しくて、篤子は目を細めた。
夫の妹である。桜堂志々子から舅の人を知らせたのは、今朝早くのことだ。
ちょうど1年前、舅にがんが見つかった時は既に末期だった。
夫とともに九十九里浜にある総合病院に駆けつけると酸素マスクをつけた。舅は意識不明の状態だった。
姑の美子も、志々子も、とうに覚悟はできていたのか、それとも救助歳を超えた高齢だから、天寿を全うしたいと言う思いがあるからか泣き叫ぶこと
もなく、静かに舅を見守っていた。時々、お父さんと耳元で呼びかけたりしている
志々子の夫で
志々子の夫である櫻堂秀典は九十九里浜にある微生物研究所に勤めている。
どういったことを研究しているのか、何度か尋ねたことがあるが、その度聞いたこともないカタカナの専門用語を羅列した。
理系にありがちな浮世離れした、雰囲気が、漂っていて、素人にもわかりやすく説明してやろうと言った配慮は回れてなかった。
医師が、看護師を連れて病室に入ってきた。
舅の頚部を触診した後、胸に聴診器を当てる。
何とか持ち直したようですね。今夜は大丈夫でしょう。
医師はそう言って聴診器を外した。
いつもの姑なら、深々とお辞儀をして礼を述べるのだが、パイプ椅子に座ったまま立ち上がろうともしなかった。
昨夜から病室に泊まっていたらしく、くたびれ果てた表情で、宙を見つめて黙り込んでいる。
医師と看護師が病室を出て行くと、志々子が言った。
今日のところは、引き揚げて、家でお茶でも飲みましょう。
折いった話でもあるのか、真剣な顔つきをしている。
私が残っているから大丈夫よ。何かあったら連絡するわ。
前もって打ち合わせしてあったのか、いとこにあたる女性がそういった。
お父さん、またね。
志々子が、物言わの父に声をかけたのを合図に、みんなでぞろぞろと病室を出た。
志々子夫婦の家は、いつ来ても、掃除が行き届いている。玄関にも埃ひとつない。
和室に通されたが、篤子はすぐに隣のダイニングキッチンを覗いた。
志々子さん、何かお手伝いしましょうか?
見ると、すでに人数分のグラスと茶菓子が用意されている。
朝から準備していたらしい。
じゃぁ、篤子さん、ガラスの器を出してくれる?
篤子が食器棚からガラスの大鉢を出そうとしたら、それじゃなくて銘々皿よ。
そう、その端っこにある、そのグリーンの緑どりの
志々子からすれば、篤子は、兄嫁にあたるが篤子の方が年下だ。
だからか、お義姉さんとは呼ばずに篤子さんと呼ぶ。
篤子から見ると義妹にあたるが、志々
子は、年上である上に、常に穀然としているから、いつの間にか、敬語を使うようになった。
志々子は、冷蔵庫から、大ぶりの梨を取り出した。
流しで、梨を洗いながら、全部で5人よねとつぶやくと、慣れた包丁遣いで、皮をするすると剥きながら、器用に5等分した梨を、さらに3切れずつに切って、さっと塩水にくぐらせる。
そして今度は見事な巨峰を大きなステンレスのボウルに入れて、たっぷりの水で洗い、キッチンバサミで枝を等分に切り分けていく。
頭の回転が速く、動きに無駄がない。
篤子さん、フォーク出してくれる?
そこの引き出しよ。
子供たちが、小さかった頃、海水浴に来た帰りに、この家に寄ったことがある。玄関先で挨拶だけして帰るつもりだったが、
志々が夕飯を食べていいけど勧めてくれた。
その時は、そばと天ぷらを作ってくれた。
その手際の良さや台所の清潔さにも感心したが、天ぷらを作る際、かぼちゃは1人1切れ、しいたけも1人1切れ、ピーマンは1人半個と、野菜を切る段階からきっちりと決めていて、残り物が出ないようにしていることに驚いた。
一方、自分はと言えば、大量に作って大皿に盛り、各人が食べ自由にとって食べられるようにしていた。
余ったら、明日食べればいいと気軽に考えていた。
揚げ物はたくさん食べないほうがいいのよ。もう少し食べたかったの残念だったわってもう位が1番おいしいの。
足りないと思ったら、サラダを食べればいいわ。
彼女は常に家族の健康を気遣っていた。
性格や物言いに柔らかさがないせいで、とっつきにくいが、その聡明さに、篤子は秘かに一目置いている。
8畳の和室でお茶を飲んだ。
それぞれの皿には、1口台の梨が3切れと巨峰が傷つきのまま5粒ほど載っている。
誰もが無理なく食べきれる量だ。
兄さんと篤子さんに、これを見てほしいと思って。
志々子がノートテーブルの上に置いた。
潔癖症と言っていいほどのきれい。好きにしては、珍しく、表紙に油染みなどの汚れがある。
長年にわたって、使い込んできたといった感じだ。
夫が手に取り、パラパラとページを見くった。
隣から覗いてみると、領収書やレシートが貼り付けてあるのが見えた。
結婚式を豪華にやる披露宴に親御さんが、出費すると、老後の資金が足りなくて、大変だなと感じました。 田中 深雪
